狂気のあとの空虚

狂気のあとの空虚
狂気に染まった。
七色になって、あちこちに行った。
そこかしこで狂気をばらまき、最終的には、狂気が真横にいた。
狂気になった。
思い出すと、そこには空虚がいた。その瞬間には、空虚の中にいた。
狂気のあとには、身体が動かなくなって、荒れた心身が横たわっていた。
辛うじて戻っても、そこには空虚しかなかった。空虚に空砲を打った。それは、狂気を振りまくのと似ていた。
じわじわと、DNAレベルで迫る狂気。気づいたらもう、それになっているかもしれない。
早々に理解していたから、逃げる準備と手はずを揃えて走りだしたら、あらゆる添加物が次第に染み込み、武装したもろい紙と論理と理想は、恐ろしい速さの野性的な瞬間瞬間にやられつつあるようだ。

いつだって狂気のあとには空虚しか残らない。
空虚の中にいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

刹那

刹那
最近は、ついったーばかりしている。色んな発言を見るのが純粋に楽しい。たくさんフォローすると、モバツイじゃ追いつけなくなる。不便。
とはいいつつ、携帯からの投稿。なので、リンクや写真はない。


さて、今日は、假屋崎省吾の「KISEKI」に行った。目黒雅叙園。結婚式だけの場所ではないのね。

目黒雅叙園の目玉、百段階段を利用した展覧会。假屋崎省吾の世界が、昭和の建物と相互的になり、新解釈が生まれる感じだった。


まず、建物が、とてもやらしいという印象。昭和のお金持ちが享楽で作った感がものすごく出てる。
極彩色の天井絵や壁絵とか、柱を掘った装飾、さらに所々キンピカしてるのが、とってもキッチュ。
はたまた、ガラスや電灯などが生活感を出してて、お寺や神社、武家屋敷とかとはまた違う風情がある。


そんな会場で、華道家假屋崎省吾がふんだんに惜しみなく才能を発揮しちゃったもんだから、大変。
氏の作品を見るのは初めてであったので、何のイメージもなく行った。それが良かったかもしれない。

生花と無機物、光の融合の具合がすごく妖艶な雰囲気。圧巻だった。
部屋ごとのテーマがあるようで、そこで活けられている花や草木は様々。見たことのない種もたくさんあった。

思うに、二度見に行く価値がある。それは、会期の最初と最後。
活けてあるから、その移ろいがはっきりとわかるはず。多分、入れ替えはしないから、最後は最初とは全く違う雰囲気になっているかも。


ここでふと思ったのが、改めて日本人は刹那的なものが好きなんだなぁということ。
すなわち、あまり上手く表せてないけど、ライブ感というものが、大事にされているのだなぁと思った。
生け花は、その場で草花切って、活ける。一度はさみをいれてしまうと、元には戻せない。その場で活ける人の瞬間の判断と行動が現れる。同様に、茶道もそう。他のものも同じ、柔道、剣道にしても、一瞬の瞬間で勝負がつく。
彫刻も、焼き物の色の配合も、ガラス細工も、刀鍛冶も、筆で書く文字も。俳句や歌などは、まさにライブ感の極みでしょう。


そんなことを考えて、一人ニヤニヤした。
ライブ感。刹那的なもの。そこを楽しむのはすごいな。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

日帰り

日帰り
日帰りで大阪。

親戚の告別式。
小さい頃からよくしてもらっていた方。

幸運なことに、しばらく振りのお葬式だった。
親戚の一人として、並び、お焼香をし、花を手向けた。


気になったのが、会場が最新鋭でかなりシステマティックだったところ。
詳細は書くにはばかられるので割愛するが、自動化はもちろん、段取りがものすごい良い。テキパキ。悪く言えば、こなしてる。
誰にでもいつでもどこでもありうることで、誰かがやるから便宜がよくて、だからこそそこに価値が生まれるのは当然なことだけども、何だか不思議な感じだった。


会場は、安藤さんなんじゃないかと疑いたくなるような、コンクリートとアート性。意図的に作られた空間が、少しの光源を招き入れてて、それが場所に相応しいえもいわれぬ物悲しさや詫びしさを醸していた。


はっきりと意識を持つようになってからの、初めてのお葬式。
当たり前なのだけど、ものすごいリアルを突きつけられた。さっきまで形があったのに、なくなってしまった。一連の時間で。その中に自分も含め、親戚、故人のご友人が介在する。


色々と考えてしまう。

色々と考えてしまう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

虚構

虚構

僕らは大きな虚構の内に立っているか。
様々な波や風や泥などに苛まれ、それに抗い立ち向かえば、たちどころに非難と蔑みの嵐に迎えられる。余力や神経は削られ、気づけば肉体の限界か、精神の堕落に陥る。

やはり、二項の関係で全てを語るのはやめにしてくれないだろうか。まずは、相対的な中に複雑な背景を持つ要因があり、そこでは価値は決まらないが、様々なクラスターの相互的かつ有機的な融合とがあり、なおかつそれらと背反な関係に位置づく要素がほぼ無尽蔵に生まれる、瞬間的で永続的なものがある、という認識を簡単にでも持っていかないだろうか。

生まれ育ちや環境などで、自らを省みない、無責任な発言はただただ無駄な労力しか生み出さない。
そこで産み出されたコールタールのような、粘り気のある、純度の高い嫌悪は、溜め込まれるべくはない。

そんなつもりで日々を過ごすつもりもなく、そういうことも耳に目に口にしたくはない。


今日は久々に悲しくなった。
自分の労力や存在を、無責任で無味乾燥な卑下した歪んだ感情の自己正当化に使わないで欲しい。

こういうのをここに書くのも、久々だということと、後で見返して反省するためにある。気持ち悪い自分、さようなら。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

さらり

さらり
さらりとした空気と風が最近通り過ぎる。
ちょっとでもずれたら寒くなり、もしくは暑くなる。じめじめもからりともしてない、そういう微妙な季節。


ちょっと前に聞いて、ふむーんて思ったこと。2つ関連あったはず。
それは、鍋の中のカエル。理論?カエルさんは、熱い鍋に入れられたら即座に逃げるけど、普通の水の中にいれたままでじっと煮立たせたら、そのまま茹で上がってしまう、というもの。
よく、スパム広告とか怪しい教材とか自己啓発系で見かけるけど、有名な話らしい。

で、もう一つが、人のモチベーション(特に広義の意味でのクリエイティブな仕事に就く場合)や効率は、インセンティブに必ずしも起因しない、というもの。
単純な仕事には、インセンティブがモチベーションや効率に比例するのだけど、ちょっと頭を使わないと解決できない仕事は、そうとは限らないらしい。
後者のそれは、賞賛とか達成感のためにあるらしく、以上のことを加味して人事やらタスクやらをすべきでは?ということ。


カエルさんの話と、インセンティブの話が混ざってなんだかピンときた。

要は、いつものように頑張ろう、に落ち着くのだけど、この2つから考えたのは、自分のモチベーションやら達成感やらやりがいは、気づかないうちに劣化したり朽ちるのだなぁということ。
お金だけがモチベーションじゃないだろうし、しっかりと意識して常に確認するのが大事なんだろうなぁと思った。

とりわけ、2つ目の話はおもろかった。

カエルさんは好きだけど、煮立ってしまうのは、ね。頑張ろうー

| | コメント (3) | トラックバック (0)

こんばんは、こんにちは。

こんばんは、久々に書きたい衝動がきたので書きます。
ここのところ、土日は外出していた。

何かしらが変わったような気がしていたが、何がかわったかとかわからず、しかも低い方面に変化したのではないだろうかなんて地味にげんなりしていた。

今日は鴻池朋子の『インタートラベラー神話と遊ぶ人』に行った。
オペラシティ。
結構お気に入り。建物の雰囲気も、開催される催しも、味がある。

鴻池朋子展 インタートラベラー 神話と遊ぶ人

ネオテニージャパン展に行ったとき、頭に残ったその作家の名前。
そんなこんなで行ってきた。

続きを読む "こんばんは、こんにちは。"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

あし

あし
まだ8月なんだなぁ。意外とすんなり働けている。長い休みがあったころは、もはや大分昔のことみたい。
長い記憶喪失の旅に出る、みたいなことをゼミ友が言ってた。あんまり仲良しゼミじゃなかったけど、なかなかおもろかった。


仕事でPCを1日使うから、家でPC開くのが面倒になっている。だが、よくない。何も情報がない。ついったーで適当に流れてくるものを適当に見ているだけ。限られた中の、限られたところから、限られたものばかり食べてる。完全に消化できてたらよいのだけど、そうでもないところがやっかい。
少ない隙間に鋭く素早く、がここ5年くらいの目標。もうちょいデバイスの工夫やら自分のスペックをあげたりとしないと。

iPhoneかなーランニングコストが気になる。ここはウィルコムか。とりあえず情報を仕入れましょか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

船旅

船旅
1日だけだけど、アートの島、直島に行った。

一回は行く価値はあるところでしょう。アートの島、と言ってしまっているが、街並みや雰囲気がとても良い。
アートという言葉の先入観に捕らわれているなぁというのが感想。普通に観光しても、おもろいところなんじゃないかしら。
城下町のなごりと、昭和風情の残る街並み。チカチカキラキラしてないパチンコ屋さんや、焼きを入れた木材造りの家。さびれた旅館に飲食店。部分部分は最先端のアート色強いが、残りはどこにでもあるような、取り残された風景。

とはいえ、やはり、隅々まで何かしら行き届いた作りになっているところは、さすが、と言えるかも。いちいちドキドキするような、置物や建物ばかり。意図的なのか、町の雰囲気がそうさせたのかわからんが、飾らない魅力がそこかしこにあった。

家プロジェクトのあたりは、すごく良い感じだった。住む人はどう考えてるのだろう。ということが気になってた。
町行くおばぁさんに道を聞きに話しかけたら、とても優しく応えてくれた。
旅館を経営するおっさんは、訪れる人と経済効果の関係を考えてた。人がたくさんきたからといって、儲けが増えるわけではないらしい。

町の人はずっとこういう姿勢なんだろうか。ベネッセが手を入れてからなのかなあ。だいぶ時間が経っているから、それはわからん。ただ、とても協力的な感じだった。
「アートとかは、私らの年代にはようわからんからねぇ」と、話す人話す人そう意識的か無意識にかそう会話にはさんでいた。

地中美術館、ベネッセアートハウス。見所。
地中美術館は、六本木のそれとは全くの別物だった。むしろ、六本木のはどうしたのか、くらい。
飾ってある作品は、その場所しか当てはまらないくらいだった。建物も、作品に負けず、しかも殺さず。入り口から想像できない規模感。

アートハウスは、宿泊も可能な美術館。作品を展示するというより、作品も建物の一部な感じだった。
島中がアートかと思いきや、地中美術館、アートハウスあたり一体だけだった。
海風吹きざらしの場所にあるけど、そこらへんはどうなんだろう。草間彌生のかぼちゃは、色褪せてしまうのかな。
大竹伸郎の作品は、あと何十年経ってきても、味わいがありそうだった。
彼の作品でもあり、公共浴場でもある、I ラブ 湯。やや高いけど、彼の世界の中に入れるし、微妙な昭和感が良い。

宿泊して、ゆっくり観光するには最適か。時間ごとの顔を見せる作品や風景がいっぱいある。日帰りには向かないかな(笑)人が多く、何かと並びや待ちやらの規制がある。
前もどこかで書いたけど、時間や見方、移動順などの規制をして鑑賞するのも、一つあるかもしれないが、やはり自由に見るのが良いのかなぁと。
腹八分くらいが、また来たくなるから良いけどねー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今、直島に向かっている。念願叶ったり!
地中美術館。ベネッセ。I love 湯。大竹伸郎。


三宮から、フェリーで高松。そして、またフェリーで直島。だいたいが待ちと船。


旅行するなら冬かもしれない。汗だくになる。
今日は、まずお風呂に入りたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

頭の中

頭の中
人と会話してて、自分の物事に関する体系的なものが全く完成していなかったことに気づいた。

だからか、話しに説得力や魅力や一貫性がないのだろう。

自分の物事への態度は広く浅くで、とりあえずやってみたりしている。悪くいえば中途半端。
さらにすこしイメージしてみるとそれは、大きな水槽に適当に容量を増やし続けているようなものだと思った。
分けることなく、ただひたすらに水槽に様々な液体や物体を流し続ける。

そういうイメージにたどり着いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«な