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久しぶりの

実は社会人になった。もはやモラトリアムとかいう言葉はないのである。
いやはやびっくり。ちょっと慣れなくてへこむんじゃないかとか思ってたけど、意外とすんなり社会人になるんだなぁ。

研修で、実家とは違う自治体の観光地みたいなところに、北国出身の、それこそ大学時代仲良しだった人と同じような系列に属するであろう同居人と住んではや2週間。
なんだかうまく過ごしている気がする。気がするだけかもしれない。
こないだ2週間ぶりに仲間とあったのだけど、なんだか本当に自分は遠いところに長いこと行ってたんじゃないかと思うくらいの高揚感。居心地が良い。酒の進み具合に差があったのが悔やまれる。


そんなこんなで久しぶりに地元に帰ってきたのだ。


あまりにも天気が良く、気温もよろしいので朝から自転車で街を走り、その勢いで東京都写真美術館に行ってきた。

野町和嘉写真展「聖地巡礼」

       

霧のなかの沐浴 アラハバード、インド 2007

と、

やなぎみわ マイ・グランドマザーズ

       

《AI》2003年Ⓒ YANAGI Miwa 1800×2400mm

がやってた。

まず、聖地巡礼。
野町和嘉さんの個展。
アフリカ、中東、インド、アンデス地方の、聖地とよばれる、宗教色のものすごい濃いところに出向き、その様子を仔細に捉えたもの。
野町さんの経歴を見たら、1年に1回は世界のどこかに行き、写真を撮っていた。60歳を越えてもなお現役。なんちゅうバイタリティ!
20代にサハラ砂漠に行ってから秘境の魅力に取り付かれて、それ以降メッカなどの聖地や、ナイル川やシルクロードなどの秘境にも行く、世界を股にかけるカメラマン。かっこよすぎ。

さて、肝心の内容について。

家路を急ぐ少年 カルザス、アルジェリア 1972

イマーム・モスク中庭 エスファハーン、イラン 2001

今回は、中東、アフリカ、インド、アンデス地方の聖地が展示されていた。
聖地はすごい。宗教はすごい。
宗教のもたらす生命力と、教徒の一心不乱具合に度肝を抜かれた。

メッカの様子を始めて見た。宮殿の真ん中に設置された、黒い石。
それに向かって何万人もの人が巡礼に来る。その石は、何1000年も触られた結果か、鉄でカバーがつけられていた!近代的!
そこに集まる、人の多さ!!聖地の眼前では、身分は関係なく全て平等だから、皆白い装束をまとい、宮殿の周りを決まった様式にもとづいてまわる。

http://ajgc.jp/images/mecca.jpg
http://ajgc.jp/11_baranorekishi.htmlより

イランの、イマームの命日に行われる祭も印象的だった。
7世紀くらいに亡くなったイマームに対して、みんなで祈りをささげる。
霊廟に赴き、身内が亡くなったかのように悲しみ、泣く。

その光景は異様に見えてしまった。自分はおそらく泣けないから。

あと、顔をスカーフで隠すイスラム教徒の女子高生の写真があったが、スカーフの下はデニムで、スニーカーで、携帯電話を使いこなす。これもびっくり。

インドは、サードゥーという、聖職者を追いかけた写真が展示されていた。
サードゥーは、なると決めたら家族や友人だけでなく、自分も世俗から絶つ、死人様の食事を食べる。つまり死ぬことで、なれる。そして常に修行をし、祭のときには聖地を目指す。ヨガの修行でさかさまになっているおじいちゃんの写真があった。

サードゥー Sadhu インド・夕刻の礼拝、アラハバード
http://www.nomachi.com/essay_detail103.cfm?ItemID_b=639&orderID=135より

インドは聖地がたくさんあり、ガンガー(ガンジス川)沿いにたくさんの聖地があるようだ。川の増減でかなり風景が変わるので、同じ場所に巡礼に行くにも、ルートが決まっているので季節によっては川の中を進む場合もある。

印象的だったのは、聖地に行くために、川の上流?から聖水を汲み、100kmを歩いて、そこの寺院でその聖水を注ぐという一連の巡礼を写したものだった。
家族で行うらしく、子どももいた。
何日も歩き、いっせいに聖地に向かうため、聖地に着いても人が多いため、10数時間も待つ。
ついに注ぎ終わって、達成感か信仰心か、やはりここでも涙を流す人が見られた。

アフリカ地方の写真は、どちらかといえば秘境の写真だった。~族といった、グローバルな影響を受けていない人たちが多かった。
砂漠のど真ん中で生活している様子がメインで、長年の内紛や干ばつによる食料不足のため、生活はとても良いとはいえない様子も見られた。

そのせいか、美術館の中にも関わらず絶えず話しているお客さんがいたのだが、
「こうやって苦しんでいる人がいるのだから、食べ物とか残せないよねーベーコン食べたいとか言ってる場合じゃないわ、ふふふー」
みたいな軽率としか思えない発言を招く結果になったような気がする。

アンデス地方の巡礼は、スペインによって持ち込まれたキリスト教と、もともとあった信仰が混ざってなんともいえない様相を醸しだしていた。冬場は3000mくらいの高さまで十字架を担いで上る光景はストイックすぎる。
他の祭では、マスクをつけたり、コンドルの格好したりして踊ってた。ちょっと日本っぽい。

全体を通して、宗教の強さを感じざるをえない。
どんなに酷な環境でも、修行でも、巡礼でも、根を一切あげず一心不乱に目的を完遂する。
そこで生活する人にとっては普通かもしれないが、とてもじゃないけど、真似出来ない。

宗教は奥が深い。改めてその威力を確認した。

そこで思い出したのは、

NHKで以前、酒をたらふく飲んで「神」となった男たちが、一晩をかけて家々を回って、女性の顔に墨を塗りたくるという雪国の祭を見たことがあることと、

以前、スリランカ人の友人に、
「宗教なんでないの?」
「わからない」
「わからないって何?何でないの?それがわからない」
と怒られたこと。

日本の宗教は、謎が多い。

宗教のことを考えるのも大事だが、まずは知ることが大事だとも思った。今回だけで、大分見方が変わった。ポジティブに見れるようになった。

やなぎみわ マイ・グランドマザーズ
http://www.yanagimiwa.net/exhibition/index.htmlより

続いて、やなぎみわさんの「マイ・グランドマザーズ」。
自分理想とする50年後を、被写体となる女性と綿密に話し合って、仮想的に作ったもの。

女性の作者だからこそできた作品だと感じる。
普段謎に感じる、女性の頭の中を少し垣間見れた気がした。
女の人と会話をしていて、考えていることについてたまに?となることがあるのだが、こういうことか、とちょっとわかったような、更にわからなくなったような。

徹底的に作りこまれた世界観に、自らが老人となった姿で写りこむ。CGかセットかわからないけど、完全に完成された世界はとても魅力的。
そこに添えられる、被写体の女性本人が書いたと思われる一筆が個人的には良かった。

短歌や俳句があって、そこにじんときた。少ない言葉で表現できる、世界。その場面の想いが伝わってくる。
英訳を見ると、説明的になっていた。
人によってはポエムや小説みたいになっている人もいたし、自分の日記みたいになっている人もいた。

Photo

http://www.yanagimiwa.net/grandmothers/project/14.htmlより。

おそらく、女性の共感を多く得られるものかと。
これの男性版があったら、全く別のものができているに違いない。
そう思った。

明日からまた戻る。あと、1週間。嬉しいような、名残惜しいような。
この研修が終わると、同期はちりぢりになってしまう。やっと仲良くなってきたのに。そこは悲しい。次はいつ会えるのだろう。そんな感じになってしまうのかな。

そろそろ寝ます。おやすみなさい。

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