ここ土日。その2.
日曜。
前回の記事が長くなったので。
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毎日内勤なので、PCを一日見ていることが多いので、土日は外にでることを目指している。
そして、また最近イベント熱が復活している。
そんな土日。
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実は社会人になった。もはやモラトリアムとかいう言葉はないのである。
いやはやびっくり。ちょっと慣れなくてへこむんじゃないかとか思ってたけど、意外とすんなり社会人になるんだなぁ。
研修で、実家とは違う自治体の観光地みたいなところに、北国出身の、それこそ大学時代仲良しだった人と同じような系列に属するであろう同居人と住んではや2週間。
なんだかうまく過ごしている気がする。気がするだけかもしれない。
こないだ2週間ぶりに仲間とあったのだけど、なんだか本当に自分は遠いところに長いこと行ってたんじゃないかと思うくらいの高揚感。居心地が良い。酒の進み具合に差があったのが悔やまれる。
そんなこんなで久しぶりに地元に帰ってきたのだ。
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ザギン、ギロッポン。
トーキョーといえばな、メトロポリタンでアーバンでハイソでマダムな一日。
こんな歳だけど、やっぱりイメージばかり先行して、キラキラさせては現実のイメージと比べてざんねーんみたいなこともあるけれど、それでも夢をみているのだろう、そんな勢いで今日も明日も。
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クリエイティブな想像力が足りないと思い、目黒美術館で開催中の、『丸山直文―後ろの正面』に行ってきた。
ニュードローイングで注目を浴びている。
写真にもあるような、淡いタッチの抽象画が印象的。
初期は、プレパラートを顕微鏡で覗いたような作品。その後、モノクロでぼんやりしたタッチの作風になり、最近では、鏡面に映ったのような不思議な空間を描く。
3つの時期で、全く雰囲気が違う。
中でも、中間の時期は、スランプだったらしく(解説見ると、模索していた時期みたい。作品も少なく、悩んでいた時期、と感じた。でも、スランプでも作品を残せるのがすごいと思う)、他の時期の作品と比べるとかなり合間でぼんやりしたタッチになっている。
展示では最近の作品→中間の時期→初期の作品となっていた。敢えて逆にしたのかな。



上から、初期→中期→最近
最近の作品になると、この人にしかできない世界が広がっている。
湖面や水面に反射するような神秘的な作品もあれば、何かに反射しているような浮揚感漂う作品もある。
使う色が、あまり見かけないような色が多い、と感じた。
もちろん、自分の経験が少ないのもあるけど、珍しい色使いだなぁと思った。濃い紫や濃い緑、特に緑色を使った作品が多いように感じた。
ちょうどカンディンスキーの授業を受けた後だったので、抽象画についての知識がちょっとあった。偶然入ったにしても、この関連性は驚き。
抽象画は、適当に描く(構図とかをしっかり決めないとか、ラフを事前にかかないという意味で)かと思ってたけど、大分難儀な作業があるということがわかり、見方が変わった。
そういう意味で、今回の展示は面白かった。
作者の視点とか、元のイメージとかを探ってみたりして、楽しんでた。
何かを作るには、何かしらのストックがないと頭が回らない気がして、その恐怖紛らすためのものが必要だと思う。
とかやってると、本線がなおざりになってしまう。あああ、頑張ろう。
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大学生ウラーッ!!

シブヤ大学。画像が直リンクみたいになってて、便利。firefoxよかよか。
創立2年目らしく、お祭りらしい!
表参道ヒルズなどで特別授業が目白押し。
そのうちの一つ、
に行ってきました。
写真家3人と、FUJIFILMの人、ブックディレクター、クリエイティブディレクターの豪華な顔合わせ。
(ゲストは割愛します。結構すごいと思うので、確認してくださいな。)
写真について、語る。そんなイベントでした。
内容というより、気になったこと書くー
最初は、写真家対メーカーの話だった。
写真の歴史から入り、専門的な話(自分が知らないだけ)。
100年もフィルムの規格が変わってない、というのは驚き。
横の人は気持ちよさそうにうつむいてた。
ブックディレクターさんの話。
脳梗塞の人に本を紹介するときに、写真集がとても効果を発揮したという。
病気になったときには覚えていなかったことを、写真集を見たときに語るということがあったようだ。
脳梗塞の人は、本をめくるという行為自体も楽しい、という言葉が印象に残った。
話違うけど、『潜水服は庁の夢を見る』もそんな感じだった。
「人間には残された希望が二つある。」という話みたいに。
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箭内さんが途中で登場した。
空気変わる、というのを体感した。何かおもろいことをしてくれそう、言ってくれそうな期待でいっぱいになってた。
実際、きわどいことも込めて、おもしろいこと(はっとすること)を言ってた。
事前に募集していた、参加者の宿題についての見解と、写真とは、の話へ流れた。
あなたにとって写真とは?の質問で寄せられた回答。
3つのパターンがあって(箭内さんが今朝見たって。それを集計すると、3つらしい。今朝見て、朝から予定もあって、あれだけの話にもってくのは、さすがプロでしょうか。)
3つ目の話。
その頃に、写真家と普通の人、という構図になってておもろかった。
~家はずるい、家持ですからねー笑
彼女の写真を撮るのは、間違いなく彼氏が世界で一番上手い。
それを頑張って越えるのがプロの仕事。
コレ一番印象残った。
そりゃ初対面の人に素顔出すのってめっちゃ気合いると思うし、それを上手く引き出すのもダイブ大変。お仕事って割り切れるもんなのかな。
それも含めてプロなんだろうけど、写真ということに限ると、プライベートな写真は本人同士しか撮れないんだろうなと思った。(ただ、そういう写真は見るとものすごくくすぐったいいし、恥ずかしい)
最後の方に出た話。
デジタルカメラという名前をつけてしまったのが失敗だよねー
カメラの形にしてしまっているのも、わけがわからない
デジカメとして、デジカメの道をいけばいい。
銀塩カメラを使う人たちだけに、こだわりと想いがある。
今日来てた人が、だいぶ写真に対して意識的だったのもあるけど、写真っていいものだなぁとも思った。質問や事前アンケートもだけど、写真って一言で言えないくらい、人それぞれの写真があるんだなと。
写真に対してではなく、何事も、それくらい物事に対して接する気持ちがあるとよいなと感じた。
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清澄白河に行ってきた。
Chim↑Pomの展示会を見に行った。

無人島プロダクションのサイトより。
hiromiyoshiiのアートスペースにて行われている、「友情か友喰いか友倒れか/BLACK OF DEATH curated by 無人島プロダクション」。
だいぶ激しいことをしていた。
自分にはちょっとわからなかった。悪ノリにもみえなくもない。
でも、そういうことを自由にやれるのがすごいと思った。
BLACK OF DEATH
これは、「カラスの剥製を持つと、カラスが集まってくる」という剥製屋さんの言葉を実行したもの。
なんだこれ笑 すげーカラスがいっぱい。魔法のようにカラスが集まってくる。渋谷、原宿、国会議事堂の前まで。
カラスを呼んで、派手な格好をしたエリィが立つ。何だかもう…
あと、渋谷のねずみを捕まえた、スーパーラットなるものの展示もあった。
ピ○チュウー色に染められたそれは、楽しそうにジオラマの渋谷を飛び跳ねていた。
近くには、渋谷でねずみを捕まえている様子が映し出されている。
ゴミ袋蹴ると、出てくるのね。いっぱい。
そして、この日、一番びっくりというかショックというか衝撃的だったのが、友情か友喰いか友倒れか。
メンバーの一人の男が、渋谷で捕まえた?ねずみとカラスと一緒に、狭い部屋に住み、それを展示するというもの。
日記と、映像と、本物がそこにあった。
中をのぞくと、何かしている。
ループする映像には、なにやら男が言っている。
日記を読む。
壮絶なものがあった。
意味とかを求めたらいけないのよね、こういう場合。
アートは爆発なわけだし。
でも、考えないことは、放棄なわけだから、考える。
日記では、すっかりねずみとカラスと仲良くなっていた。
しかし、カアタンは、何日前に亡くなっていたようだ。
物音がしたので、中をのぞくと、カラスのようなものがいる。
初めてこの小屋(作品)を見たときにいた、黒いそれは、カアタンであった。

suzukiq.blog.ocn.ne.jp/
ここで、タイトルの意味がわかる。
友情か友喰いか友倒れか。
映像と日記と、現在がリンクして、何ともいえぬ哀愁に襲われた。
何よりも、会場のにおいが気になっていた。
気のせいでは無かった。
そろそろ2週間を経つ生活のにおいだった。
芳香剤と混ざって、薬品のようなにおいになり、鼻腔にも、服にもそのにおいが残った。
全てを理解した後に来るから困ったものだ。しばらく嗚咽と、咳とが止まらず、コーラを買った。
このあと、清澄白河に来たノリで、東京都現代美術館に行く。
ジブリ展も行きたいけど、予約はもちろんしてないので、行けず。
パラレル・ワールド展を見ることにした。
ユーグ・レプがキュレーターとなって、世界のアーティスト10人を集めた展示会。
フランスを中心とした、現代アートの世界がわかる、とサイトにあった。
確かに、今までにないような(絵画などではなく、様々な手法や材料を使って作品が使われている、という意味で)、新しい感じの作品が多かった。

名和晃平 《PixCell[Coyote]》 2004年
撮影:木奥惠三 courtesy of SCAI THE BATHHOUSE
名和晃平さんの作品が印象的。
剥製(あ、まただ。何たる偶然か)が、不思議な箱に入れられていて、3Dの映像をみているような迫力があった。

アラン・セシャス 《霧の日々 VI.出会い》 2006年
© Alain Séchas-ADAGP Photo: Florian Kleinefenn
courtesy of the artist & Galerie Chantal Crousel
この作品も、連続であることで、何ともいえない感覚になっていく。
ユーグ・レプ自体も、「観客が見ることで、作品になる。」とM,デュシャンが言っていたようなことを考えていたようで、どのように感じ、作品を見るかは自由である、と言っているようだ。
現代アートは、どのように理解したらよいか難しい。個人的に。
ただ、作品そのものがキレイで、精密であり、また、自分が入る、触るなどして感じる作品といった、ひと工夫があることが好きな理由でもある。
他にも、現代アートを集めた展覧会が近く開催されるようなので、また足を運んでみたい。
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基本的に、思いつきで行動する。
約束して、その日をまちこがれてどきどきする、なんともいえない感じも好きだけど、そうだ!と思いついた瞬間に動くというスピード感も好き。
そんなわけで行ってきた横浜美術館。
桜木町はカポーばかりで、またへこんだけども。


↑コレに行ってきた。http://www.jiu.ac.jp/yma/2008/fourviews/
茂木健一郎、角田光代、はな、荒木経惟の4人がそれぞれのテーマに沿って選んだ作品と、中田横浜市長が選んだ作品という異色な組み合わせの展示会。
やはり個性的な人たちが選んだだけに、個性が光る作品が選ばれていた。

角田さんは、「光」をテーマに選んでいた。
その中からインスピレーションを受けたものに対して、短編で応えるということをしていた。
1枚の絵から短編を思いつくという行為が自分にとって斬新だった。
その人の見方が反映されているわけで、「この部分を人に見立てたのかな?」と考えながら絵と文を比べて、自分の見方と比べる。
人によって絵の見方はそれぞれで、自由でよいと思った。

はなさんは、かわいい、と思ったものを選んだ、というだけに、かわいい作品が多かった。
本当に小さくてかわいらしいチョイスで、思わずニヤニヤしてしまう。
版画が多かった。中学のときに美術の時間に作成した版画を思い出した。
版画の作品は、やわらかくて、あたたかい。そして、緻密。
また、はなさんは仏教にも関心があるらしく、仏像などの作品も展示されていた。
土門拳などの、仏像の一部をアップで写した写真であった。
仏像の手や顔、肩などのパーツのみをアップで見るのは初めてだった。
なんだかとてもなまめかしくて、不思議な感じを得た。
男の姿を模して、筋肉隆々なはずなのに、手先はとてもなめらかで、つややかで、エロスを感じた。なぜだろう。
自然と制作者の無意識が反映されたのか。不思議。それもアップで見ないとたぶんわからない。

茂木さんは、制作の過程を自身と向き合う「鏡」と捉え、絵などに表れた自己をテーマにしている。
上の絵のように、薄気味悪い感じのどんよりとした雰囲気を持つ作品を多く取り上げていた。
上の絵はとても大きな作品で、藤の花が重々しく、そこに不気味に笑う少女が、素足で血をにじませている。でも、タイトルは、《世界中の子と友達になれる》という明るいタイトル。
このしっくりこない具合が、作品に引かれる理由なのかなと思った。
ポール・セザンヌやフランシス・ベーコン、岸田劉生から奈良美智や松井冬子にいたるまで、時代や地域、ジャンルを超えて多彩な作品に描かれた人の姿を通して、そこに立ち現れる人間の苦しみや安らぎについて、あらためて考えるきっかけとなることでしょう。(ホームページhttp://www.jiu.ac.jp/yma/2008/fourviews/mogi.htmlより。)
とあるように、様々なアーティストを取り上げていた。

アラーキーは、「全ては盗作か模写か複写でしかない、女となんか(忘れたorz)は生。だからあたしは女を撮る」と言っていた。
展示物も模写・複写を中心にあり、自身の作品も飾る。
中でも、江戸時代の色物の雑誌?をカメラで撮り直し、それを現物と比べる、という展示が面白かった。
あと、「アラーキーの横浜美人100人撮り!」、という企画も同時に行っており、100人の女性の顔が壁一面に貼ってあり、とても圧巻。
人は2つの目玉を持つものに引かれる、とどこかで見たのを思い出した。
大きく飾られた顔は圧巻。目が離れない。
女性は魅力的であり、個性的である。みんな素人なのかな?
そこが荒木経惟の力なのだろうな。
写真が上手くはれるようになった!!!
わーい。
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チケットが当たったので、行ってきた。
東京国立近代美術館で開催中の、
カウロザウリ展http://www.momat.go.jp/Honkan/carlo_zauli.html
「ザウリの白」といわれる、白の作品。
陶器の白さ、光具合、質感を始めて間近で見れてよかった。
海外の陶芸作品は初めてみる。
最初は、伝統的な陶器を制作していた。
キレイな色をした皿、壺などがあり、普通の陶芸家かと思っていたら、
だんだんと壺の形から離れ、抽象的、幾何学的な形になっていった。
それは、直線と曲線が上手く調合した、何かであった。
曲線も直線もそれ以外はない、という瞬間を焼き物にした感じに見えた。
次第に、曲線もキレイに整えなくなり、素材を活かした、土の質感そのものを表しているかのような作品が増えていった。手でただちぎった形、掘り返したままの形のような、一見きれいではない(直線、曲線ですらない、がさつな)形。
火を入れることで、土は永遠にその形のままでいることになる。そこに不思議さを感じた。
皿をキレイに作って、敢えて手でちぎってみたり、直線を敢えて壊してその形を保存したりと、形をなくして見えるものを探していたのかと思った。
制作過程を、手でなぞるのもまたおもしろい。
「壺」というタイトルがついているものが多くあったが、形は壺ではなかったり、口がないものもあって、壺という概念ってなんだろうと思った。
身近に壺というものがないのもあるが、壺って何だろうと考える機会を設けてみようと思う。
同時開催、建築がうまれるとき ピーター・メルクリと青木淳にも行った。
http://www.momat.go.jp/Honkan/Maerkli_Aoki/index.html
会場内の様子(シキチより)
建築家がどうやって家を作るか、ということを考えるプロセスを順々に載せて紹介。
ピーターメルクリのデッサンがとてもかわいらしい絵で、「こんなんからよくあんな建物できるなぁ」
とたまたま横に居た建築を志す学生が、思わず声に出してしまうくらいだった。
実際、鉛筆などで思いつくまま書いた感じで、建築の製図が建築のイメージだったので、とてもし衝撃的であった。
青木淳は、20にわたるプロセスと100の模型で、あるクライアントからの依頼である家が完成するまでの悩み。
隣の家の桜の木や、これだ!と直感で思いついたものを優先するあまりに家から遠のいでしまうなど、頭の中をのぞいた感じであった。
両者を見て思ったのが、必ずしも完璧なものは必要ではない、ということ。
デッサンも模型も何となく完成形が見えて、とてもアバウトな感じだった。
大切なのは想像力なんだなと実感。
建築系の展覧会は、建築を少しでも勉強していないと、100%楽しめないということも実感。
デッサン、模型、用語など、なれていないとなかなかイメージしがたい。
| 【6月号】特集5:耄碌説もある丹下健三が君臨する建築界の“不 配信元:電子書店パピレス 提供:@niftyコンテンツ |


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はうすの話。
今日は、その道の大家なる人の講演を聞きにいった。
二人で45分は量的に無理やろーと思いきや、さすがプロ、まとめる力とプレゼン力がすごい。
ロジカルな展開と、ビジュアルのフォローが理解を早めた。
しかも、打ち合わせしたかのように、二人の話はリンクしていた。
という感想。
自分は、というと、バウハウスについてググってみたり、学校の図書館で調べたのだが、やはり、限界があり、しかも文系の学生であるから、美術の基礎知識はほぼ皆無。
少し前まで開催していた、バウハウスデッサウ展にも行ったが、やはり理解や見方のキャパを越えていた。
そんなわけで、行ってみたのだ(笑)
もちろん、周りにはデザイナーっぽい人や、アートな感じ。
内容は、内包する矛盾について。
それぞれの人が持つ情熱や意図、それと全体が向かう方向や結果が、矛盾をはらんでいる、ということ。
詳しくは書いたら何かっぽいから書きませんが…(自分の理解が及んでない、というのもまた事実)
で、後の懇親会でワイン飲んで、まいせんのカツ食べた(笑)参加費が割りとしたのだ。
学生だから、を利用して、ちょっぴりはりきった。
そろそろ自分も意図やら何かを持ってこういう機会に参加しよう、と思った。意外と頑張れば行ける、と思った。そして、Tシャツとジーパンはやっぱりダメだと思った。格好は大事。
で、でも、BMWだから!古着だけど(笑)
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今日は、
に行ってきた。
①は、日本の「あかり」についての展示会。
行灯や提灯、ランプなど、日本のあかりの歴史とデザインから、暮らしに与える影響が展示されていた。
生活に必要とされる明かりが、場所ごとにあって、しかも、一つ一つに細かい遊びが行き渡っているのがなんともいえない雰囲気を醸し出していた。
最初はロウソクや、菜種油などが使われていた。
室内用、屋外用、さらに携帯用のものもあり、生活との密着具合が伺われた。
中でも一番どきどきしたのが、暗い室内を再現してあり、屏風を昔ながらの明かりと現代風の蛍光灯のあかりとで比べられる体験コーナーだった。
昔の人が使っていたほのかな明かりを出す、今でいうランプのようなものに照らされた屏風と室内の雰囲気が、夜の怪しさと楽しさを演出していた。
ほのかな明かりが生み出す音のある静けさのようなものに、なんともいえない趣を感じた。
あかりの出現によって、夜というものに対してポジティブな印象に変わったのだろうかと思った。
近くでPanasonic面接会場って書いてあったけど…しらないしらない…
②は、クリオ賞と、現代の日本のクリエイティブの展示。
海外の広告というものに触れた、貴重な機会。
中でも印象的だったのが、プリント部門の大賞であった。
絵のみで表されたウオッカの広告は、順番に読んでいくように作られている。
ウオッカのせいでこうなっちゃったwみたいなノリが70年代のアメリカコミックみたいなタッチで描かれていてすごくおもしろい。
イノベーティブ部門もおもしろかった。
新しい広告の手段というものが示唆されていた。
海賊版を防ぐために、海賊版をわざと作り出して流布させ、そのDVDを流すと途中で終わり、これは海賊版です。と出るというもの。毒を持って毒を制すとはこういうことか。
そして、毎回海外の広告、とりわけ映像広告を見ると、ずるいなぁと思う。
日本とはお金のかけ方というかかけるところが違うのだろうか。
1分2分は当たり前は制度の違いなどあるかもしれないが、映画の1シーンとしても十分耐えうるようなCMがバンバン流れてくる。
刺激的、もしくは感動的な映像。そしてトドメのコピー。
これが定番なのだろうか。よくこういう形のCMが賞として見かける。
ドキっとしたのが、児童虐待のCM。
ほのぼのとした空気が、一言で凍りつき、コピーによって謎が一気に解けて、ごちゃごちゃしていた感情や知識が理解とあいまって流れ込んでくる。
ずるい。
③ファブリカの総集編。
ファブリカという団体の作品のまとめ?の展示会。
様々な視点で世界、アートを見よう、というのが目的か。
世界の視点で様々に表現された作品を感じることができた。
『colors』という、言論、表現の自由ということで様々な国、立場の人が何を考え、表現しようとしているのかを、自由に白い冊子に書き込んでいくというものが、たくさんつるされていた。
どれも作品と呼べるかどうかは別として、個性というものが溢れていた。
インスタレーションが印象的だった。自分がカメラの前に立つことで、自分も作品の一部になる、というもの。
二つあって、一つは一人エグザイルができるもの。 笑
二つ目は、たくさんのコマと、停止した映像が投射されるもの。
片方には、刻々と動く自身が投射され、もう一つにはとまった自身が投射される。
なんともいえない感覚。
今日はたくさん見た。おなかいっぱい。
明日で1月も最終日。
1日1日を大事にしないと。
これからまたたくさんある。がんばろう。
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